・祈りの力を出す様になるには、自分自身の心を清めて掛からんと仲々出来ないのであるが、あかんからと言ってやらんとなをあかんから、やはり稽古をしていないと上達しないものである。
・人は神の子、神の宮であるから、良い悪いの識別は皆分かっているから、自然に自分で改心することはし、やるべき事はやり、遠慮することはされているので、私はあまりやかましい事は言わない。
・本当の事を言うと宗教など造らなくても、自然と人間は立派になる様に作られている。
・信仰はあまりチョカ、チョカ言わなくても、大きくまかして置くと、その方は余程良くなるのである。
・あまり悪を責めると人間の寿命が短くなるから、多少悪をやらさんと又善が分からん様になっている。
・人間は良い事は皆知っているので、強制しない様にしていると、少しづづ自分の気の向いた時やられるのである。
・良い事をするのも窮屈な思いをして良い事をしても分からんから、楽しみもって出来る様にならんといかん。
・悟るのは、年に応じて悟るのである。
・六十歳位になると、やはり好々爺になり、人生を楽しみ、何の囚われも持たず、天人的心構えを持って人と接するのである。
・神様をやっていたら、大抵の事は任して、あまりコセコセした事は言わず、自然に任しておいた方がかえってよろしい。
・悪い事をせなと言わなくても、自然に犠牲的な人をこしらえて悪い見本として知らして居られるので、皆それを見て改心すべき事は改心する様に計らわれている。
・先祖とか此の世に居らない霊はある程度統一されている。
・よい事は上へ昇れば一つである。
・個人が立派になる様指導し、何宗何派を言わない。
・人間を善だ悪だと言っていじめられないものがあるから、ほめてあげて置くこと。
・何宗何派でも、どなたでも喜ばす様にならんといかん。我があっては人を仲良しになれない。