神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完師説話集 103

・信仰家が教育をボロカスに言ったり、又教育家が信仰を否定するのは間違っている。

・ある程度の教育を受けて信仰を励んで居ると、向上するに従い、習わなくても学問の事も分かる様になるのである。それは神様を言うお方が全部のものを兼ね備えて居られる吾々を指導して下さるからである。

・家族が死亡すると人間の心がしなべた様になり勇気が出ないので、人を指導することが出来ないので、暫く遠慮することを喪に服すと言うのである。あやまった指導をするといかんから遠慮するのである。心がしなびて勇気が出ないと、完全な働きが出来ないから、神の道を大切にする上で、やりぞこないをすると神様に申し訳ないから、その程度に応じた遠慮を申し上げるのである。

・妻や子が死亡すると気ぐされするので立派な事が出来ない為に、日本では大体の日を定めて喪に服する様になっている。これは神の道に奉仕する時に、間違った事をやると申し訳ないので、ご遠慮申し上げるのである。これは死亡にかかわらず、病気になったり、気ぐされしている場合にも又御遠慮申し上げることが、神様に仕える者の常識である。玉串奉呈等でも気持ちがよい時でないと御無礼になるのである。

・気持ちがスカットして良い時は、善い御用がさせてもらえるが、夫婦喧嘩した後などは心が悩んで居るからよい御用は出来ない。神様の御用をする時は、気持の清らかさが一番大切である。

・気持の良くない時は、その心境に応じた霊がつくので、よろしくないので、神の前には出ない様にすることである。これは神様事には勿論のこと、人様に会う時も遠慮した方がよいのである。

・物事を深く考えず、サラッと川に流した様な気持ちに常々からなる様努力しなければならないが、人間はその時の都合によって、心掛けていても、どうにもならぬ時があるから、こんな時は御神業等出来ないから、時には爽やかにするために寝る事もよい。

・修業は無理すると中途で破裂するから、なるべく気長に、気持ちよくする事がもとになるから、決してやれば良いと言うものではない。

・お話等も時間にしばられて無理しなくてもよい。

・若い時は人間界に通じ、年がゆくと神様に通ずる事が自然に出来るので、大変神様事がしやすくなるものである。