神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(神人合一④)

神様の方から一方的に神定めされて人間に申し付けての神懸かりをする状態を天理教中山みきに見る事が出来ます。

天保九年十月二十三日の午後十時頃、中山家の家族に病気があったので、その当時お加持して病を治してもらう風習がありました。そのお加持の儀式をするには、加持台(霊媒の役)する人物を選んで、その人物に神仏を降ろしてその神仏からお伺いして、指示してもらうものが定番のものであったが、加持台になるそよが不在であった為に、やむなくみきに御幣を持たせて、一心こめて祈祷中に、「みきを神のやしろに貰い受けたい」との啓示があったのでした。

主人の善兵衛は、なんとなく不安になり、神仏にお断りをするのであるが、神仏の方では、どうしてもお聞き容れにならず、加持台にみきを使ったばかりに思いもかけぬことになってしまうのである。

その神様は「元の神」と申される神様であって、その場に居合わせて者全員で、みきを使われては困るので、みきの身体からお帰り願いたいと言うのであるが、元の神は一向にお聞きき容れにならず、みきの言葉は、いよいよ厳しくなって来るのであった。

そして「元の神の思惑通りにするのが神の言う事と承知せよ、聞き入れてくれたならば、世界一列救けきて、もし不承知ならば、この家、粉も無いようにする」と申される。

それから、夜を日についで三日の間、御弊を手にし、端座させられたまま、一度の食事もとらず、ある時は、静かに座っているかと思えば又、ある時は響き渡るような声で元の神のお考えを申される。

手は激しくゆれ動き、御幣の垂紙は散々に破れた。皆は、なんとかこの神様がみきの身体からお昇り頂く手段は無いものかと、相談を重ね、市兵衛にもはかってみたものの、事はすでに市兵衛の力の及ぶ処のものでははくなっていて、人々にもその名案と言うものがなかったのであった。

そして善兵衛は、事ここに至っては、元の神の申される様にお衣をお受けするより他に道は無いと思い定め、二十六日、朝の八時頃に「みきを差し上げます」と言ってお受けした。

その時、それまでの激しい様子も初めておさまって、中山みきの身体は神のやしろに定められたのでした。

時に、天保九年十月二十六日であった。