神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完師説話集 92

・国の大先祖(国土の大神様)を世にお出し申すことを一生懸命やっていると、自分の家の御先祖様も世に出る事が出来るのである。

・日本人の偉いのは、立派な御先祖様が居られるからである。一寸見込みのある子孫の為には、先祖が目を付けて段々とおかまいになるが、見込みの無い子孫は乞食になってしまう。同じ先祖と言えども十代から二十代前のお方になると、神様かと思われる御先祖が居られるのである。

・神様事では、己を忘れてする処に神意に叶うものがある。しかし大抵は、自分をつき出してしまうのである。何事にも自分我、自分我を思う間はよくない。この事を何時も思い、己をむなしくする様、努力しなければならぬ。

・余程良いと思っていて話していても、よく聞いていると、己を売り出す事の方が多くなっているものである。

・人間は良い事も言うが、何をしているやら解らん様なマズイ事もやるものであるから、人の話を聞いて自分を反省しなければ、中々内面の浄化は出来ない。

・本当に人の為に、又神様の為に吾を忘れて出来る様に腹が出来上がってしまわなければ、中々人は寄って来て下されないものである。

・自分がやったことだけの事をお話する様にしないと大ぶろしきになるのである。

・油断をしていると立て替えが起こるから、気許しは出来ない。大抵三、四月、八、九月に立て替えが多い様だから、この時期に少しでも、神様を祭るお手伝いをするとよい。

・先祖を改式して神様の教えを家庭に打ち立てた人は、霊界では一番上座にすえられているのである。

・素盞嗚男之大神様は人間救済の神々の中で第一人者である。

・世の立て替えの根本は上下の差なく平等を第一とされているので、正月のお鏡も上下同じ大きさにして見せて置くのである。みかんをお鏡餅の上にのせるのは、カンの強い神様の事がよく分かる人が、一番上になると言う意味である。

・神意を知って物事をすると大変良いお蔭を頂くが、神意に添う事は神心になる勉強をする以外ない。

大谷司完師説話集 91

・同じ知識でも信仰すると善知識となる。それには実行がともなって来るが、学校だけで教えられてる知識は、善い事は言うが実行力がないのである。

・神の道では、おしげもなく、人に与えて喜んでもらう様にすればよいのである。

・相手を憎んだり、けこなしたり、差別感を持っている間は人は信仰をやってくれない。

・最終の国土の神の教えを知った以上は、うろうろしていては行き処がなくなるのである。

・心の持ち方と、身の行いを重点として修業し頭角を現し、国土の神のお気に入る様になればよし、中途半端でものにならない場合は肉体を取り替えられる事になる。入れ物次第で、肉体が悪いと霊魂が泣くのである。

・肉体と魂と一致協力して良い事を励めば、今度は、肉体と魂に対して立派な立場を与えられる様になるのである。

・神様の御名を汚さない様に御用しなければならぬ。中には神の名を汚しながら本人は御用をしている様に思っている人もあるが、こんなことではいかん。

・神様のお蔭として目に見えるものはあまり大したものではない。目に見えん力をお授け下さるのである。だから人間も目に見えん処で誠を尽くさねばならん。

・ここでは名前を出すことに重点を置いていない。目に見えん処で心を喜ばす様にしている。だからどう云う事があっても悲観等する必要はない。

・神様はエコヒイキなさらないことを信じて変わらぬ様にお仕えしなければならぬ。

・吾が心の癖を教えて下さる為に上がったり、下がったりさせて居られるだけであるから、自分を反省してあまり喜んだり、すねたりしない様しなければならぬ。心をひがまない立派な考えの持ち主になれば、神様も使い易いわけである。

・神様、人様で人間を喜ばし、良き様に導きますと神様はお喜びである。

・良い事はささいな事から一つ一つ気永くやらないと永続きはしない。

・神様を拝む事は勿論結構であるが、先祖様の実在をもう少しシッカリと認識して喜ばす様にしますと、大変結構になるのである。

・先祖に物を供える事は大切だが、一家を仲良くするのも又先祖様は大変喜ばれるものである。

大谷司完師説話集 90

・奥深い教えは人間のどんな迷いでも解る様に解く教えである。

・日本古来の神様と根の浅い神様とでは、全然違うのである。

・お道に対してゴチャゴチャ言う人は、先ず末代まで浮かばれない。

・人を救おうと思えば、祈りが神様に届く力を養う努力が大切である。

・人間をものにしようと思えば、その人の為に祈って上げて、人を喜ばしてかからんと、中々人は親しみ寄って来ない。

・お金もなく頼る人もなく、不幸な事ではあるが、それに依って神様を祈る事が上手になり、助かる体験を積む事に依り、一番よいお蔭を頂く事になるのである。

・人の心を掴む教えでないといかん。しかも正しく清らかなもので、一家に採り入れても大丈夫なものでないといかん。やればやる程、国家や社会、一家の為になる教えでないといかん。

・正しい宗教とは、病気治しでもなく、病気にならない様教えるのが正しい宗教である。

・正しい信仰はどこから見ても、やましい処の一つもないものでないといけない。

・国土の神の教えを信じないと、外国から来た教えでは、心を外人にしてしまって、最後は国をも取ってしまうのである。

・信仰はしても片寄らない様にしていないと囚われて解らなくなるから、本当は信仰を宗教で教えるのではなく、学校で教える様になるのがよろしい。

・信仰は癖直しが重要となっているから、この癖直しさえ出来れば、学校でも良い訳であるが、それを教える学校も先生もいない。

・良い信仰も、そうでないものもゴチャゴチャにして、信仰は全部迷信扱いにする教育界は間違っている。将来の問題として、どうしても信仰を教育の中に入れて教えて行くと大変よろしい。

・人間に何の希望もないと楽しくない。せっかく信仰しながらつまらない事になってしまう。

・どんな希望でも、他に害を及ぼすものでない以上は全てよい。立派な事ばかりを言っている人がこづらにくく思う。神様はお叱りにならないが、正直に自分の希望を申し上げ、良くして頂ければ、満足感を与えられ救われるのである。

大谷司完師説話集 89

・おしげもなく人の為、犠牲がはらわれる様な人になるのがよい。

・こちらが腹を割って掛からねば相手は腹を割ってくれぬ。

・自分が尽くさずして、相手は尽くしてくれないものである。最初は自分から尽くして掛からんといかん。やはり自分を投げ出して掛からねばならん。神心とは自分を投げ出すことである。

・背後に神ありと信じれば、何でもできるものである。

・霊界より現世の方が教団へ集まっている人が多い。心から信仰を求めている人が少ないと言う事である。

・心さえシッカリして居れば肉体はひとり立派になるのである。しかし大抵の人は心に良い事を求めていないので、現世に比べて、誠にお粗末なものなのである。

・大きな教団の沢山の参拝者を霊的に見るとドヤドヤと出たり入ったりしているが、誠にさびしいものである。

・信仰者の今の霊界を見ていると、実状はさびしい状態である。それはこれから良い事をする人が段々と少なくなると云う状態である。

・これは何故かと言うと、学校で信仰の事を言わないからである。

・実状は正直に言っておかんと嘘になるから、あまり良い事を言って喜ばして見てもあかんのである。ひっくるめて言うと人類は亡びに向かっていると言っても良い。

・人間は無茶苦茶してもあまり咎められんが、神様は無茶苦茶すると神の座から下ろされるのである。

・神様はお力はあるが、人間が求めないとお守り下さらん。神様は善い事を進められるにしても、人に決して無理を押し付けなさらんのである。

・信仰しても中ぶらりんではいかん。神の力もあるらしいではいかん。腹の底から根強いものが無ければいかん。

・神を信じると同時に、祈りの力を段々強める稽古が大切である。そして土壇場となったら一声で恐ろしい力の出る様になっていないといかん。

大谷司完師説話集 88

・お祈りは水晶の玉の様に心を澄みきらしていなければ、清らかな神様に届かない。

・神様は人間の良くなる様に、気苦労をされているのである。

・人間も神様に習い人の良くなる事を神に祈り、又人に代わってお詫び申し上げる様に心掛けるのがよい。

・各人が神様に出来る限りお祈りする様に癖付けること。但し、もたれ信仰者を作らない様にすること。

・祈りは誠ですること。同じ祈りを繰り返す様な事はいかん。

・自分の癖も直さず、お蔭を望むのは一寸あつかまし過ぎている。

・神様のお名前は、人間が勝手に付けている。今は神様の御名が多すぎて皆を迷わすのである。行く処まで行くと一つとなって来る。

・神様には、どの神様でも誠があれば届くのである。

・信仰はあまり派手にならない様にし、落ち着いてお祈りが出来る様になること。

・長い間念の勉強をしていると、他からの念波を感じる事が出来る。そうなれば他の念波を調べる勉強をすれば良い。又その念波は正しいものか邪悪なものか分かる様にならんといかん。それには永い間かかっての修行が必要である。

・国土の神様も、地方に居られる産土の神様も、皆お考えは一つである。

・何処で祈っても清らかな祈りであれば、立派な神様に通じる。ザッパな祈りをすると、それに相応した霊が来る様になる。皆祈る人の心次第である。いづれにしても一苦労しないと神様の事等分からんものである。

・現在霊界では仏教の事を言う人は段々なくなって神様を言う人が多くなって来ている。

・仏教は精神的な力を失いつつある。

・同じ信仰をするにしても、将来性のある信仰をせんといかん。

・この道を段々修業して行って、神様が選んだ人は、いよいよ神様に使われる様になる。そうなるとその人独特のやり方で教えをされる様になるが、内容とするものは一つである。

・病気はその人の守護神が癖直しの為、されている場合があるから、お取次ぎする時は天地の神のお許しにより、その人の守護神に許して下される様、お願いするのである。

・自分には天の使命があって、この神の道で苦労させられているのであると思い、忍耐して一生懸命やらなければならぬ。

大谷司完師説話集 87

・信仰はどこ迄行こうとも、自分の心は自分で救わんといかん様になっている。

・自分のした良い事を全て神様にさせてもらったと思い、その徳を神様にお返しするのである。

・自分の気に入らん事を他人からさせられても、それを腹の中でよくこなして、忍耐し、良き様に思える様に稽古するのがよい。

・お陰も色々である。金や物で頂くお陰を、一番上等に思うのは下品である。

・神様のお話にウソをつくのは一番いかん、人をエコヒイキするのも悪い。

・人の知らない処でも、同じ様に正直にしていると神様がお守り下さるのである。

・勇気の無い人は、人間的に物を考え過ぎるから良いお陰を頂けないのである。

・神様事を一生懸命していると霊性が向上して、相応した神様にお守り頂ける。そして段々良くなるのである。又誰もようせん様な事をさせて下さるのである。

・信仰に熱心になる程に損をする様な神様ではいかん。力の無い神である。吾々は正しい事をして正しい力のある神様にお守り頂かないといかん。

・人間は神様を忘れるが、神様は人間を忘れられない。

・お世話をして神の道に入れて頂いた人を忘れてはいけない。

・霊界では皮を被っていないから、中身がすぐに現れている。現世でも信仰を一生懸命していると、かなり人を知ることが出来るので、人生生活の上に大変結構である。

・良い事をしても、説明すると徳が消えるので、御神徳については、蔭で徳を積まなければならん。

・良いお陰を頂くには、損することをいとうてはならぬ。

・出来るだけ人のお世話をしていると、時期が来ると、段々よくなるのである。

・神様に対してお供えされた事に対して、人間がお礼を言うとお徳をその人に頂けないから、あまりお礼を言わん様にしている。そうしていると、その人は本当のお陰を頂ける様になるのである。

・直接お礼の言葉を聞かないと満足しない様では信仰は浅い。相手の目を見ただけで、気持ちが通う様にならんといかん。

・お祈りは信念を深める事であるから、自分の行く処には必ず神様がいらっしゃると思い、グッと恐い程の祈りをしなければならぬ。

大谷司完師説話集 86

・心から人を尊んでいないと、人も口先だけで、心から尊んでくれないのである。

・一家の悪い点を悟るには、これも長い間からのものがあるから一度には行かないが、しかし常に直す様にしていると、必ずよい結果を得られるのである。

・一家の悪い癖や、個人の悪い癖を直す様に三年間努力すると、人格は一変してくる。

・神心とは如何に難しいものか、それを心掛けているとよく解る。神心で人に接ししていると人から尊ばれたりするが、その神心を心の底から出すことは難しい。

・自分の悪癖を直し、立派になると神様が喜ばれている事が、自然に悟れる様になると大変結構である。もしその人の一生の内に神様が喜んで居られる事が悟れる様になれば、大したものである。

・誠の信仰は、つらい難しい事ではあるが、努力して全うすれば、全て自分の徳となって来るのである。

・人間は本当の自分の前世の事を知らなければいかんのであるが、よいかげんな信仰をして、神様に信用がないから知らされんのである。

・人間は仲々心から神様を大切にするものではない。

・愛情と言っても浅いもので深いものが足らん。子供に対する愛でも、他人の子に可愛がりにくいのは、人間愛であり、神の愛とはほど遠いのである。

・神様は人間のとうてい考えられない様な愛を平気で持たれているものである。

・信仰は超越感がないと仲々神心にはなれない。色々の事でも稽古せんと超越の心境は作れんのである。

・損得とか、名誉とか、普通人のやることに超越していると、チョット普通人と掛け放れた事が出来る。

・人間は反省と超越が大切である。

・普通人より一段上を行こうと思うならば、何時も反省し超越心を持ち、これを長続きする様に稽古すると、習うより慣れろで、今まで出来なかったことも、出来る様になるのである。

・現世に於いて数多く良い事を思い実行していると、霊界へ行った時、思わん良い世界に住む事が出来る。仲々良い事は出来んが思うだけでも思っていないといかん。