・同じ知識でも信仰すると善知識となる。それには実行がともなって来るが、学校だけで教えられてる知識は、善い事は言うが実行力がないのである。
・神の道では、おしげもなく、人に与えて喜んでもらう様にすればよいのである。
・相手を憎んだり、けこなしたり、差別感を持っている間は人は信仰をやってくれない。
・最終の国土の神の教えを知った以上は、うろうろしていては行き処がなくなるのである。
・心の持ち方と、身の行いを重点として修業し頭角を現し、国土の神のお気に入る様になればよし、中途半端でものにならない場合は肉体を取り替えられる事になる。入れ物次第で、肉体が悪いと霊魂が泣くのである。
・肉体と魂と一致協力して良い事を励めば、今度は、肉体と魂に対して立派な立場を与えられる様になるのである。
・神様の御名を汚さない様に御用しなければならぬ。中には神の名を汚しながら本人は御用をしている様に思っている人もあるが、こんなことではいかん。
・神様のお蔭として目に見えるものはあまり大したものではない。目に見えん力をお授け下さるのである。だから人間も目に見えん処で誠を尽くさねばならん。
・ここでは名前を出すことに重点を置いていない。目に見えん処で心を喜ばす様にしている。だからどう云う事があっても悲観等する必要はない。
・神様はエコヒイキなさらないことを信じて変わらぬ様にお仕えしなければならぬ。
・吾が心の癖を教えて下さる為に上がったり、下がったりさせて居られるだけであるから、自分を反省してあまり喜んだり、すねたりしない様しなければならぬ。心をひがまない立派な考えの持ち主になれば、神様も使い易いわけである。
・神様、人様で人間を喜ばし、良き様に導きますと神様はお喜びである。
・良い事はささいな事から一つ一つ気永くやらないと永続きはしない。
・神様を拝む事は勿論結構であるが、先祖様の実在をもう少しシッカリと認識して喜ばす様にしますと、大変結構になるのである。
・先祖に物を供える事は大切だが、一家を仲良くするのも又先祖様は大変喜ばれるものである。