・人間は無駄な事には非常に強いが、神様事には弱い。善い霊に信頼されんといかん。悪い霊に信頼されているからいかんのである。
・良い信念力を持つと神様事だけではなく、何もかも良い結果が出て来るのである。
・相手とチョボ、チョボの処で、少し上の程度で導くのである。それには相手の程度を知っていないといかん。
・相手の霊は別に見えなくても、人を体験する事によって、その人の大方が感覚でなんとなく解る。
・別に神様事でなくても、世間的な事でも人が言うことを聞いてくれるのは、その人が霊的に上になっているからである。それに神様がついて下さると一番良いのである。
・学問と信仰は人間に徳を付ける。信仰は愛が中心である。学問は智が中心になる。いずれにしろ何からでも徳を積まなければ、人間として三文の値打ちもない。
・人から見てあの人は威張っているなあと思われると、それだけで値打ちを落としている。
・学問でも下座出来ないから、下座をするには信仰をして勉強するよりない。学問でも信仰でも下座の修行をしていると、その人は光って来るのである。
・学問も信仰も皆人間の修業である。そのやり方をしらんと何年やってもあかんのである。
・人間の修業の目的は神であるが、神様は実際に霊界で神様に出会い見た人でないと分からんのである。
・霊なる神を始めから見ることは出来ないが、人間の偉い人を通じてその人を麗しく見る稽古をして行くと段々神様も解って来る。
・信仰は愛と智恵を平均して働かす様にするとよい。
・信仰からでも学問からでも神を知り、御守護を受けなければ修業を完成さすわけにはいかぬ。
・世の中は信仰だけでも学問だけでも通らん様につくられているから、最後迄行くと片手落ちの事が分かって来る。
・学問も信仰も基は神様から流れて来るものであるから、最後は一つになって調和されなければ人間完成は出来ない。
・信仰しているから政治を知らなくても良いわけではないから無関心ではいかん。又政治にも信仰が大切である。