神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完師説話集 93

・この世の事は心次第でいくらでも天国は作れるのである。

・どんな事でも見直し聞き直して夫々の人々が心掛けて、心直しをすれば世の中は非常に良くなるのである。

・絶対の悪人も善人もいない。皆中ぶらりんの人間が多く住んでいるのだから、心次第で皆仲良しになれるのである。

・どんな人でも神の前へ来たら、皆良くなぅって居られるのであるから、人間でも神心になって人に接して居れば必ず人は皆善人となるのである。

・自分の心が曲がっていると、目の前に善人が来ていても悪人に見えるのである。

・人を警戒していると、相手も又警戒するのであるから、相手をうたがわない様にしなければならない。

・自分が神心にならずして相手は神心にならぬ。

・主人だとか上だとか言う様な立場を自ら取り去って、相手になっていると、皆ようなるのである。

・人をものにする事は結構であるが、自分が先ず神心となることである。

・神様はどんな時も神心を持続されている。

・年がいかんと神心は各自体得出来ない。

・吾が子を見て神心になれるのは、年寄からである。

・人間の心は目に現れて来るものである。外の動作は良くならなくとも、目が変わっているのである。

・仏教は体裁を作るのは上手であるが、神様で修業した人は、正直である。偽善もなく心は綺麗である。一寸見には仏教者の方が偉い様に見える。

・修業は背後から良いお方が付いていて下さると非常に良いのである。これはやはり因縁によるのである。霊界からの采配を受けなければ立派なことは出来ない。しかし、あせりまくっても又邪霊にやられてしまう。修業は非常に難しいが、油断せぬ様に一生懸命努力する以外ないのである。又良い霊を言っても百二十階もあるのだから、中々良い神様にまみえる事は出来ない。

・汚れたものを口の中に入れても、心の中で清いものにしたらよいので、全部悪をしないのは結構であるが、この世では生存出来ないのであるから、悪をやりながらしまいは善に転化する精神力が大切である。だから悪にこだわっていては、善い事も出来ないのである。

・男女は互いに助け合って修業させてあるのであるから、あまり仲良くなり過ぎて度をはずさない様に、程々に吾が身を守って居ればよい。きれいな人はきれいと思えばよろし、好きは好きで良いのである。全々思ってもいかんとは言わないから、どはずれせん様にしてお互い楽しい世の中を作ればよい。男女は然々近寄ったらいかんものならば、神様は決して男と女をお造りにならんのである。自分自身が深入りせず、道をはづさない様にしておればよい。