・神様になんとか、と言う誠心がある人は、人を喜ばすことも自然に出来るのである。
・改心せよと言わなくても、自然の摂理によって、嫌でも改心さされるのである。
・自分の我とかが勝ってしまい、赤恥をかく人もあるが、これを人が善悪を裁いてはいかんのである。天がお裁きなさるのである。
・聖場に参ったら汚さぬ様に謹んで、参拝しなければならぬ。
・人から兎角言われる内に、神の教えで一家を浄化しないといけない。一家を浄化せずして、泥足で他家へ行っても、あまり効果はない。
・何事でも心から喜べる様になれば、天のお与えに対して感謝の心が自然に湧くのである。
・人の心にどうして神の御心を流し込むか、その修練をつまねばならぬ。
・現世の生活は一時の気なぐさめみたいなものである。
・地獄がなかったら人間の魂は目をさまさん。正しい神にそぐわん事は、皆地獄となって展開している。地獄界の見聞の時は、その地獄に相応した心にならないと、見聞できないのである。
・魂の安定にも色々あるので、その人に応じた処に置いてあげた方がよいので、あながち高い処が良いとは言えんのである。
・六十歳になって童心になれない人は、修行の出来ない親方の様なものである。
・どこ迄行っても人間は無一物である。無一物と思えば無尽蔵である。
・お金も良い事に使えば、又戻って来るのである。
・与えられた自分の人生を、より良くする処に人生の意義がある。豊かな気持ちで人生を有意義に過ごす様勉強すること。これは『凡庸の道』を生活化することである。
・神があるか無いか解らんではいかん。自分の心境さえ変化すれば、先祖や神の実在が解って来るのである。
・人間は誰か教えてくれるとか、怒ってくれる人がないと、のほほんとなってしまう。
・誰でも良い事をし、道をはずさん様にと思っているのであるが、肉体を持っている哀しさで、つい色々と失敗するのである。
・親は子孫に対して責任があるから正しい道行きをしなければならん。
・人間の肉体はあまり良い事は出来ないが、心を高める様稽古すると良い。
・出来るだけ神様の御心に叶う人間にならなければならないが、それを強制するわけにはいかん。人が人を罰することも出来ん。『凡庸の道』を謹んでそれをするしないも本人の自由だから、やらんからとて怒るわけにもいかん。成るべく自発的に努力してもらいたい。