・物知りになることが信仰ではない。神の教えを守る事である。
・信仰力のないものには真の平和はない。
・天地の道理は、人間の勝手気儘を見逃せない。
・吾が子は血の流れを引き継いでいる。それは、情動(愛の流れ)が母乳を通じて子供に伝わるのである。
・どんな人でも差別をしたらいかん。他処から渡って来た人でも、百年以上たっていたら、皆先祖である。
・勝ちたい心があると、その相手を悪く言うのである。
・この世は物が充実していなかったら生きている気はせんのである。
・霊主体従とは、人も良し吾れも良しの精神である。
・出来もせん事をあまりやかましく言うと、隠し事をすることになるのである。
・心の迷いを祓うことが信仰である。
・吾が心を神心にすれば、どんな人でも観音様の様な尊いお方に見えるのである。
・がんばる人程、自分を良く見せたい心があるからである。
・お徳の頂けるのはその人の精神次第である。神様を大切にすると同時に、先祖も大切にしなければならぬ。何をやってもあかんのは先祖に愛想をつかされているからである。子孫がどうしているかと思うのは先祖である。
・自分が出来が悪くても、良いことは勇気を出して言ってあげる。これを神の代弁者という。
・信仰する目的はまごころを以って神のお言葉をお伝えさせて頂くと、だんだんなれるに従って内流を受けて、愛の心が充満して燃え上がって来る。これを愛の熱と言う。
・神の道を知って、どの様に生活を改造して行くか、これが信仰である。
・気長く時間を掛けないと罪障は消滅しない。
・人間より神様から信用されんと駄目である。
・正しい神様程、陰で御苦労されている。
・誠の道は、落ちぶれて何の力も無い者を修行させ立派に仕立てお使いになる。
・お道の正しい理解を持つだけでも、大変神業のお手伝いになる。自分勝手にやっていると、お手伝い処か邪魔になる。
・出来れば威張らないで、誠の道を一生懸命やればよい。そして神様が居られる事が解れば十二分のお陰を頂くのである。
・幾分かは自分も神の為に犠牲にならせて頂きたいと思わねばならぬ。それには自分をよく見つめて、自分の考えはこれで正しいか常に反省しなければならぬ。
・御教えと自分の心の働きを常に照らし合わせて修正しなければならぬ。又表面をかざる事に専念し、自己養護する、そして無理を通すこれは学問の影響である。