・不幸はその時その心の持ち方で造ることが多い。日常自分に弱みになる様なことはせんこと。
・色々やって行く内に、人の知らない体験が出て来て、チョットやソット位で、びくともせん人間になるのである。
・今の社会に一人でも正しい秩序を持った人があると、大きく世の中を良くする良い種をまいたことになる。だから「世の塩となる」と言う事は、清らかな正しい行いをして、社会の為に尽くす事を言う。
・霊界では魂にこたえる処迄、辛い事をさされるから、改心ができるのである。
・神主さんや、坊さんや、と言われなくとも徳のある人にならなくては、本当のものでない。
・人間と生まれて一番最後のものは、天の声を聞ける様になる事である。これは程遠い事であるが、その為には目先の欲に執れず、一生懸命やらなければならぬ。
・二百年位迄は、霊界の事はハッキリ解らなかった。
・教団は教祖が亡くなると、教団経営の為、教団悪と言うものを作るからいかん。最初は良くても、継ぐ人が悪いと駄目になる。代替わりになると、あってもなくても良い様なものが出来上がってしまう。
・悟りがないと、永くやっても何もならんので、心の持ち方を一つづつ改めることが必要である。
・どこかにいかん点があると、神の御意志に叶わんから、立替立直しをされるのである。
・三歩進んで二歩後戻りと言う、固いやり方をしないと、人の心の中に誠を蓄積することが出来ない。
・人をおだてたりして発展させるわけにはいかん道であるから、中々進展が容易でないが、影となり日なたとなって、人間的におせっかいせず、霊界からの支配によって、自然に立替立直しされて行くのである。自己の功者でなく、神まかせの生涯をやらなければならぬ。