・常識を働かして、こんな事は神様にお願いしたらいかん、と思う事はお願いしない様にすること。
・この少しづつの頼りのないやり方が誠をなり神様へ届くのである。
・わしはもう解ったから、わしは偉いと思っている人はあかん。
・人間の分際として神様の事など、解るものではないが、よくこれだけのことを解らせて下さったと感謝するのである。
・肉体はきれいな事ばかり出来ない様になっているので、この世は心で良い事を思い、良い行いをしなければならぬ。
・人は使い方によって良い事をするので、扱い方のツボを押さえぞこないすると、喧嘩になるから、ツボをよくご存知であるが、黙って見て居られるから、報告だけは必ずしなければならぬ。神様はどこにいても、見て居られる、と信じなければ良い事はできぬ。
・これ見よがしの、立派な話をすることもいらん。
・無い金をだしたり、無理算段することはいらん。少なくても気持ちよく無理のない事をしてはげまなければならぬ。
・天国を造るやり方は、指導者に似て来るが全く同じではない、やはり自分の天国へ行くのである。
・一家であれば、主人が一番良い天国を造り、其の中で妻はお手伝いすること、主人が少々まだるっこい事を言っても、妻は主人を立て道を守らねばならぬ。
・そしてお互いに、主人、妻の道を立てないと一家に平和は来んのである。
・もの事が良い様にならんのは、神様が人間の悪癖と直す為のお手入れをされているからである。
・自分の悪い癖を自分で知らないと、自分で直せるよう努力しないから、神様から信用されんし、人にもしたわれんのである。
・一番自分の目立つ癖を自分で直すこと。
・自分で大丈夫と思って居ても、神が見ておられるのであるから、どうにもならぬ。
・縄文時代の神の教えを、先ず霊の元の国の住民が知って、世界の人に教えねばならぬ。使命のあることを知らねばならぬ。
・吾々として知らねばならぬ事は、縄文時代の神様のお考えである。この縄文時代の神のお考えは、此の世を造り給うた神様のお考えと一致している。
・若い人でも遊びたいさかりに、遊びたいのを辛抱して一生懸命お話を聞いて居るのは、因縁があるからである。因縁がないとそれが出来ないのである。出来るのは縄文時代の神に因縁があり使命があるからである。