神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完 伝 ー霊界見聞ー

1921年大正10年3月3日、27歳の時の夜明け前に、不思議な霊人が寝て居る私を呼び起こすので、思わず返事をしてそのお方を見ると羽織袴の和正装のお姿であった。

私も早速身支度をなしその方と共に家の外に出てみたのであった。するとその方は無言の儘で先に立って歩かれるので、私も後よりついて行ったのでした。

京都の将軍塚の方へとお山を登って行かれるので、逸れてはならじと後より一心になってついて行ったのであった。

余程登ったかと思うころ、ふと立ち止まられて側にあった木の根に腰を掛けてひとまず休息をなされたので、私もその側いしゃがんだのである。

すると私の方を見て「草臥れたか」と仰せられたので「然程にもありません」とお答えすると、それから何かと気軽にお話をされたのであって、然もそのお言葉が私の悩んでいる心の中までまるで見透かしたようにして諄々と諭してくだされるので、一句一句が私の魂に浸み込むが如くであり、嬉しく感じられるのであった。

「人間は誰でも修業の為にこの世に生まれて来たのであるから、如何にように苦しい事があってもこれから先は決して自殺の事などを考えてはなりませんぞ」と語尾に力を込めて仰せられた時には、私は脳に針を打たれた如くとなり、思わずそのお方の御顔を眺めたのであった。

又言葉静かに申されたのである。「誰でもと言う訳でも無いが、特に貴方には因縁に依って神より修業をさせられていたのであるからさぞ苦労も多かったことであろうし、又何事も思う様に運ばなかったので随分苦しんだ事であろうと思われる。然しこれには深い訳があり、すべて神が貴方の気心を試されていたのであるから、これから先は、さほど心配しなくても宜しい」と聞かされたので、取り敢えず有難う御座いますとお礼を申し上げたものの、そのお言葉の意味がはっきりと呑み込めずに居たのであった。

すると何かに気付かれた様な態度をなされて私を見て「もう時間が来たからお帰りなさい」と申されるや姿をお隠しなされたと同時に、私の身体が高い処から振り落とされた様な気持ちとなって、元に戻されてしまったのであった。

それから暫くの間は何となく身体全体が借り物の様でぎこちない感じが取れなかったのである。

以上の如く夢とも現実とも判別の付かぬ不思議な現象が起こってからは、私の生活に於ける心境も変わり、昼は家業を真剣に働き夜ともなれば暇あるごとに神書に親しみ、神仏の御教えに対してなるべく疑わない様に致して、日常を励んで居たのであった。

この事がきっかけとなって、司完師の霊界の見聞が始められる様になったのです。