対求道者にも誠に厳しい教えをされていたが記録に残っています。
「とにかく働くことだ。元気をだしてやれば何とかなる。本当の修業となったら、こんな楽な生活でない。自分で働いて得た金で食べるなら、例えウドン一杯でも美味しい。信心のことと、生活のこととは混せず超然と扱い処して行き、その時その時、良い絵をかいて行ったら良い。現在処世上のことは、御魂とはチットも関係ない、とにかく落ち着く様に・・・」
(ある人、聖者の作品の処置につき伺う)
「祭典気狂い、神書呆気は大嫌いじゃ。形の事で人に相談すると言う様な時ではなし、心相応で宝物でも執着のかたまりとなるものである。私も掛軸を三本だけは取っておきたいと思い家に仕舞っておいたが、スッカリ持って行かれてしまった(警察に)」
大本事件当時、教団内よりスパイ呼ばわりされたこともあったのでした。
「必ず荘厳なる時代が来る。荘厳なる様式となる。尊い犠牲を払って、一人一人テストされているのである。応える道は唯、御魂みがきのみである」とその苦難と試練をのり超える方法を語られています。
又、司完先生と神様との間にこんなことがあったのです。
神様の御指導のもとに修業を重ねられて二十年も経過していました。
しかし霊界で活動出来る様に、現世での生活は思った様には行きません。神様に教えられる様になかなか人も金も物も思う様にいって居られなかったのでした。神様にお会いされた時に「神様に対して申し訳ないですけど、頼りないです」と申されたのです。
神様は「それならばもっと神様を頼りに出来る様に修業せよ」と答えられました。
正に親が子を養育されるような対応です。神様はそれこそ広い心で受け止められています。司完先生も歯にきぬ着せず思った事をありのままに話されています。