神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完 伝 ー新しい旅立ち1ー

司完師の開教の原点は京都五条署に現れ給わっった事代主之命がその起因になっています。

霊界に於ける神様からの直接の精霊に対しての教育(直接内流という)が始められてから十五年目の節目で、新しい人生の旅立ちであったのでした。(独立してお前に教えた道を開け、と神はもうされる)

開教は昭和十一年一月一日でした。

「司完」という名を神様から授けられるのもこの頃です。本名は大谷景介で、影より人を助けると言う意味があったそうです。教団修業時代には「敬祐」やまいたすける、と言う名を使っておられます。

ご本人の記によれば、当時あまりに苦労が多かった為になるべく「苦労」も谷底に落ち込まない様に山の峰から峰へと経由した人生を過ごしたいと、敬祐と付けたと言われていました。

この司完の名を頂けるとき、最初に神様から示された名は「死棺」なのでした。神様は「お前は、毎日の様に一端死んで霊界に入っているのだから死棺同様じゃないか」と申されるのですが、あまりにゲンが悪いのでいやですと断られるのです。

「それではこれでどうじゃ」と次に「芝翫」と言う名を出されるのです。芝翫と言うのは、歌舞の名女形と言われる中村歌右衛門の事で女に執れることなく、芸一筋に一生を過ごした役者のことで「丁度お前のしている修業に似ているじゃないか」と申されるのですが、おやまの様な名前は嫌です。と又断られるのです。

「それではこれで如何じゃ」と出されたのが「司完」だったのです。まったきを司る、と言う意味であり、これならば頂きますとなったのでした。

人間四十代は、考え方も体力的にも一番充実した年齢であり、又一人住まいであったので神様は何の気使いされることなく、霊界の出入りを頻繁にされています。一夜に複数回されることも多々ありました。

毎夜のごとく大谷家から火の玉が出入りするのを肉眼で見られる近隣の人があって「大谷さんの家は何か不思議な家じゃ」と町内に噂がたちました。