特に独身者は、宗教家達の言葉に感化されて、本来精霊と言うものは、自主、自立性のあるものである事を忘れてしまっているのです。
この世にある内に信仰を求めて感激と感謝のある人生を心に作られた人は別に当人が求めなくても、天国に霊籍が作られているものなのです。(永代供養料はその人の天国の霊精料の担保とはならないのです)
理想と言うものは、覚悟と経験がないと実現出来ないものなのです。信念がブレていたらむづかしいものです。
従って、この世に生活している内に、自分の心が天国化(安心と感激のある心の働き)されていないと、死後、天国には住めないと言う事なのです。
この世に生活している間に心中に地獄を作っていた人が、その人の死後は、天国に行けるはずがない(相応の霊界)のです。
それを供養料が収められたからとて天国の生活代に切替えられると言うことはあり得ないものです。
本当の事を知ることを、見真実行と言うのです。これを知らないと正しい信仰をする意味がないのです。
人格とは「霊主体従の法則」により、外面よりも、内面が大切であり、そのバランスも大切なのです。(まして内面が最も大切なのです)
生きる道に大切なことは、第一に、何が善いことで、何が悪いことかを知っていないといけないのです。
マスコミでは、舌屋(ベロヤ)と言われる人達が活動している。その人の舌だけが正義で、やっている事はそれとは別に悪い人格を持っている人なのである。
単にコメンテーターとして何でも口と舌で言うだけで仕事をしていると言う人物が流行しているが、一枚めくれば、悪人として逮捕されているのです。
この様な人格を偽善者と言って、悪人なのだが善人をよそおって見せているだけと言うことなのですが、案外この種の人格者は、宗教家に多いものでして、信者は、口と舌だけでだまされているのです。