神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(悪の誘惑)

○ 人には、その心の中に、善霊と悪霊とが居る。善霊は、その心の中にある善心に居り、悪霊はその心の中にある悪心に居る。悪霊が近づく時には、その人の心の中に在る悪を引き出し、善霊が近づく時には、その人の心にある善を引き出すのである。

従って、人の心の中にはこの善と悪との戦いがあって、内分的な苦悩を絶えず作っている。この誘惑と言うものは、神様や天界からではなく、悪魔や地獄からなされるものなのである。

 

○ 人の内分の苦悩に二種ある。一つは自然的なもの、もう一つは霊的なものとなっている。

自然的な苦悩の原因とするものは、その目的とする処が世間的な内容となっていて、金銭、物質、名誉、異性の獲得等が原因となっていて、霊的苦悩の原因とするものは、天界の向上に対して原因であるものが多い。一各これを天使の悩みと言われる。世の中の中を善くしたい、他人を善くしたいが為に起こって来る悩みとなっているのである。

 

○ 常に人の中で長ならんとする心は、自然的、即ち外人(霊学的には副守護神と言う)にあり、善は霊人、即ち内人にあり、これを霊学的には正守護神と言う。その心の中で、常に善人悪人の戦いがあり、善が勝てば霊人が心の主人となり、悪が勝てば自然人が主人となり、所謂世間的な人格となる。

次に、人はたえず己が内心の働きに注意し、神を中心とした霊人が心を支配出来る様に観察していなければいけないのである。これをする事を霊的修業という。

 

○ 信仰があろうとなかろうと、人生の思春期と言われる年回りとなって来ると、人は等しく自然人として誘惑があり、誰によらず、まずそれに打ち勝たねばならんものとなっている。

従って信仰心と言うものは、思春期を迎える以前から持ち、己の心を内観する方法を知っていないと、悪に心を占領支配されてしまい、人生を大きく墜落してしまって取り返しの付かないものを作りかねないのである。

ここに人生は全て自己責任であり、全ては、自分の心で意志決定してしまった処にあるのですから、他に責任を転嫁する等、卑怯な事等言わない事なのである。

 

○ 恋愛と言うものを霊的に観察される時は、それは悪魔の誘惑をそのままに受けている状態を言うものです。

若者同士の間では、恋愛は神聖である、と言う解釈は、自然人的な感覚に居る人達が発想した言葉なのであるのです。

思春期に恋愛が発生した時には、この注意をよく考えて見てもらいたいのです。その内心は悪に支配されているがゆえに、秘密を多くし、親や友人にも隠し、こと他に対して偽る様にするのです。