神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(教団神)

教団の信仰等では、神にたよらず、教祖や教団幹部に依存するように仕向けられている為に、これの執れ様も解りにくいのである。神は『人に頼らず、神のみを頼れ』と教えられるのです。

信仰は、神対人の問題なのです。教団対信者の関係ではないと申されるのです。

 

(神の道)

神のお道とは、神道に非ず(いわゆる神社神道も含む、戦前から戦後も、尚、少し形を変えて現代までつづいているもの)。

神のお道では、国法を遵守することが大切である。いわゆる全ての事が合法的に進められていないといけないのだ。当然「違法」のものがあったとするならば、それは天授の心理と言う神の好まれるものと認識していないといけないのだ。

 

(日の本の国)

人が知ろうと知るまいと、日本の国は、世界の基となっている(要となっている)のです。日本は(霊の元は)世界の人々国々民族のお手本にならないといけない国柄です。

 

(無縁霊)

一人者の人物が信仰していて、その人が死んだら「無縁者」となるのは、現世的信仰の教えなるものである。霊的な信仰をしていると、自分に子供がなくて、先祖の供養をするものがないから、同じ様に「無縁の者」となると考えるのは取り違えのはなはだしいものである。

信仰はその人と神との問題が第一義のことであり、その人の心境と信仰力の事が問題となっていて、子孫の「供養が出来ない」等の事が問題ではないのである。

その例として次に生まれ出た時には、何と言う姓の家に生まれ替わるか分からないかえあである。

この事は神のみ知られる処のもので、年期、年祭をしたかしなかったの事ではなく、その人の霊魂に、神徳や霊徳を頂ける信仰をしていたかが大切なのである。

仏壇や祖霊舎に祀られていたか、永代供養が如何かの問題ではなく、その人の信仰の内容に問題があると言う事なのである。

その人が一生懸けて、積みのこしたお金をこの信仰の取違えで、永代供養料として宗教家に取られてしまうぐらい、無駄なことはない。そんな事ならば、社会の為になる事に、そのお金を使っていた方がお金も生きるし、少しでも他人を喜ばせていた方が徳を積む事になって己にそれが返って来るものなのである。

正しい信仰をしていた者は、他から供養があろうとなかろうと、その人にふさわしい天国に救われている。供養があって天国に行くのではない。現世に於いて作られた心のままが霊界のその人の位となっているのである。