色々の迷いの心が、吹っ切れないと、本当の心は浮かばれない。
(内流外流)
人は外流や内流による助けがないと新しい感性や、アイディアが湧いて来ないのである。世間的なことは、全て外流である。外流はすでに人に依って作られたものからの発想である。
内流はかつてない感性が情報として内面に伝えられる。特に宗教的な感性は、内流により霊界より伝えられるのである。
私の発想行動も霊界から伝えられたものなのである。
音楽や、芸術性の新しい発想も、霊界の芸術家によって伝えられるのである。
(正念)
神様への誠は、真直な心の働きである。信仰とは、その真心の生きる道を言う。肉体は他の生物のエネルギーを喰して生き、霊魂は信仰により神のエネルギーを頂いて生きる。このいづれかが片寄っては生きて行けないのが人間の性なのである。
(求道努力)
「千里の道も一歩から」目的を達成するにしても、一歩一歩確実に進まねばなりません。
(悪の策略)
悪の策略にはめられぬ様、注意すること。(知っててだまされること、知らずにだまされる事あり)
(お蔭)
「お蔭は取り得く、心掛け次第のもの」と神様は申されます。
「お蔭」と言うものは、信仰しているからとて、皆、無条件に戴けるものではありません。
注意力の散漫な人には、特に無いのです。注意力が失われていると、魔が襲うことになるのです。
信仰も全て自己責任となっています。
信仰の初期に見られる取り違いの一つに、自分の失態を神様のせいにすることが多いのです。