琵琶湖は、霊的には天の真名井となっていて、天使、天女が神水を汲みに来る処とされている。
琵琶湖をかこんで「伊吹山」「比叡山」「音羽山「三上山」「竹生島」の各点は、要所となっていて、この五点をむすぶと、いわゆる「ダビデの星」を形どることとなる。
(観音様)
観音様の御本地は、日本の此花咲耶姫神である。(特に伊都能売観音の事を指す)
薬師如来の御本地は、少名彦の神である。
地蔵菩薩の御本地は、豊霊女之命神である。
❉ 本地とは、本性のこと、元の神の姿を示している。
(霊界)
人の概念が造る色々の神仏、霊界それがそのままに霊界として現存している。それを「在りの儘に見て来られた方」を見真実行者と言う。これをそのように放っておくと、その霊界に又、大切な己が心を支配されてしまうので、神様は新しい伊都能売神とその信仰を日本人に伝えられた。その仕事を一生を掛けて受けられたのが、大谷景介と言う人物なのです。
この方は人生を通じて、神の実在されることを霊界の在る事を縁ある人々に伝えられて来ました。そして国土神のお考えを伝えられたのですが、三冊の神書『天使の声』『凡庸の道』『続凡庸の道』として伝えられました。師はこの三冊を天の声として残されましたが、これを独習することは大変至難なこととなっていますので、その教えとは別に、地の声として、師が昭和十一年より説かれていた説話集をまとめ上げて見ると、天の声と地の声がはじめてそろって天地の謎が解ける事となる、と生前から語られているのです。
自分たちの日常に起こって来ることは、全てよい事もよくない事も自分の心の呼んだものの現れて来たものである。
悪い事の起こって来るのは、魔神に魅入られたせいである。よい事の起こって来るのは正神に魅入られた結果である。
例え、よくない事(悪い事)の起こって来たのは、神様のせいではない、自分の修業のおろかさや、油断が元で魔神につけいられたからである。自分の不注意が邪神を呼んでいるのである。この様な悪い事を起こさせてのは、己のせいと思わなければならん。
嫌なことを起こさせたのは、自分の不用意な言葉や行動が他を刺激させたりして、喧嘩や闘争となって、相手の体を傷つけることになったのであるから、そうなる前に、神様に祈り、不幸の種をまかぬことを守りぬかねばならない。