神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(悟り)

『奥山の谷底で、血をはく思想いで、泣き叫ぶホトトギスの声が聞けるようにならんと、この神の道は分からん、天使の声が聞こえて来ん』と申される。

 

(信仰)

○ 肉眼では見えないが神様とこのお道と言うものは霊的に実在している。そのことを一生掛けて実験して行くことを「信仰する」と言うのです。まことの信仰とは、このことを言うのですが、一般的に言われる「信仰」の概念と違っている事をまず自ら知らないと入っていけないのです。まものからの内流はない、徹底して思いぬくこと、徹底してやりぬくことが大切である。

 

(自湧神界)

形をきめつけないこと、自由の発想にすることが、自湧神界の心掛けである。既成の思想宗教の何物にも囚われないことが大切なことになっている。それが伊都能売的実相である。

誰もが、見たこともない、ふれたこともない神の姿を伝えるのが伊都能売の姿勢である。それを如何に伝え、表現して行くかが、この道の難しさである。その感性を悟れたもののみがはじめて、伝えられる心境と言えるものである。

 

この新しい神界の神々の意気込みを悟れた人々がふえて行けてこそ、初めて誕生して来る、地上の神界の展開となっている。その正神の神業である。自湧神界の発生時には神の「たてわけ」と言う神判が発生する。

二十一世紀の新しくて、執われのない霊的内容を含めた「神観」と言うものは、見真実行者が霊界見聞により、生の神様と会われることにより、伝えられた真の「神観」(神様に就いての考え方である)であり、真神の説によれば、『新しい神観として、神は堂宇、社殿の中に居まさず、神は人の心の中に在り』と伝えよと申されているのです。

これがまったく時代に最もそった神の見方である。従って「信仰の目的」とする処は、それぞれの心の中の神をそれぞれが見つけ出し、その神の命ずるままに、与えられた人生を送る事を目的としているのです。