神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(神心)

神様の立場は常に第三者的視点の立場から見られて居られるのである。(神心)従って単なる善意の視点ではない事である。

神心(神様のお考え)と言うものは、神事から、それぞれの信仰の徳で悟っていかねばならんものなのである。

 

(徳)

神国とは、有徳の民の国の事を意味している。従って徳のないものは、本来この国には住みにくくなっている。徳とは信用が高く、他から尊敬されたり、すかれたりされる人達の事を言う。他から嫌われたり、信用の無い人達は、従って人の上にはたてない国情となっているのである。

この徳とは何かが解らん人達は、信仰する資格もないと言うことにもなるのです。

徳の在る人には、人、金、物の全てが集まって来るものなのですが、徳の無い人にはそれが無いのです。

御神徳と言うものは、際限の無い神心、神智、神の愛を示すものであります。神の愛は見返りを求める事の無い、与えぱなしのものなのです。

 

(内神と外神)

内なる神、外なる神がある。外に求める神、内に求める神と言う意味である。

これの求めるに就いてよく理解してないといけない。信仰の基本は、内なる神の声を聞くことにあるが、人間は、善悪混合美醜合い交っているのが霊魂(たましい)の姿なのである。

その内にある醜い心を取り出すには、外なる神、顕祭法により外に神を祭って、信仰生活をしていると、醜いものが人間の内より外に出て来るのである。

この外なる神の在り方と、内なる神を清めて行くことが大切なのである。

一般的には、顕祭法により、外に神を祭り外に神を求める事の習慣が長くつづいている為に、神は外に求める癖が付いているが、基本は内に求めるものである事をよく知っていないといけないのだ。