○ 夢とか希望とか言う人間の理想は、永く思いつづけなければ実現しないものなのです。途中で挫折する様な事もなく、その様な事態が発生して来たとしても、一つの事を決して諦める様なこともせず、思いつづけていないと起こって来ないのです。
又、この道を信仰する神様は、伊都能売之神様と申し上げて、人々の理想を叶えられる願望成就の神様であらされるのですから、この神様の信仰を求めていないと損をすると言う事になっているのです。
現実の生活をしていると現実と理想は、はるかに離れている様に思えるものなのですが、必ず現実として理想は現れるものと信じて生活していないといけないものなのです。
(伊都能売)
○ 伊都能売神観では、この神の神心は、「善悪一如」の神観であり、神心である。しかし人間は正しい信仰を求め極力「善一筋」の信仰観、人生観を養っていかなければいけないのだ。
個人的修業感として、「善にも強く、悪にも強し」と言う「善悪一如意」と少しニュアンスが異なるが、悪に強くあった者が、信仰を求める事によって、善に求めるようになると、その善に就いても一通りの者の行う善の強さ以上に強い善を行える者となれる、と言う事も言っているのだ。
過去暴力団の親分であった者が信仰を求める事になり、強気信仰者となった例もあるがごとしである。
伊都能売とは完全な理想であるから、それはそれぞれの心の内に描いたものを、そのままに、その人らしく表現して、他に伝えて行けばよいのです。これでないといかん、と言うものでもないのです。
ありのままに自身の心の内にとらえたものを、その人の理想としてつかみ、その人らしく素直な感性で伝えて行けばよいのです。
他の真似をする必要は一つもないのです。他の真似をすると、理想にはならんのです。個性も失われますし、その人らしさがないのです。
ここに自湧神界の神々のめざす処が特徴として現れているからなのです。従ってこの教えは「始めであり終わりのもの」である、と言われてるのです。