神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(神様)

神様には、正神と正神でない邪神がある。正神の所属される世界を正神界と申される。

正神の仕組は、自然界に於いては、その国の道徳律となったり、その国の法律と定められてリ、各種の定めともなって現れていると言うこと。

人間の内面に在っては、本霊(直日魂)を通じて、良心の心の働きとして現れて来る。従って自分の良心を嫌う事は、神様の嫌われる事と考えるのは正しい事なのである。

真実(まこと)は、神様なのである。この真実の心の働きが神の心と言ってよい。真実の心とは親切・丁寧・実意・正直の心の働きであると言っています。

神様とは正義であり、この正義感とは、正神を信仰する人の作り育てられた良心の働きとしての正義であって、単なる人間のいう正義ではない。

正神は公的であり、私感(人間的思考)が入らない、人物をエコヒイキしない、公平であり、感情に支配されることなく、特別視しない心の働きである。国家的社会的善と考えられる。

邪神は私的見解であり、自分に対して良い感情を持つ者のみ、重要視する傾向がある。自己中心的、独裁的に行動する感がある。

教団の信者だけ大切にすると言う教団神や動物神にこの傾向が見られる。(人造的である)

邪神は、えてして反社会的なことを発想するものであるし、又、主観的でもある。

正神は人を活性化する事に重点をおかれるが、邪神は、人を廃人にといざなうものがある。ノイローゼ、うつ病にさすものである。社会を遊離させ、内面的にこもり易くしてしまう働きがある。自己を否定し人類の尊厳を否定し、人類の覆滅を考える。そして邪神は自殺をさせる。

惟神の道とは、国家が定める道の事であり、私的な団体の決めるものではないのです。国家の信仰として、それを如何に決めて行くかと言う事が大切なのである。

宗教と国や神社に於いても「惟神の道」を言っているが(例えば天理教金光教黒住教大本教等)これ等も全て私的見解であり、これ等の説は重要視する事は出来ない。あく迄も、参考にとどまるものである。又、この参考の枠からだしてはならぬものなのである。

例へば、明治維新と共に作られた「惟神の道」は日本を如何様なものへ導いて、如何様な結果を招いたかは、明治、大正、昭和の歴史を見ても解る様なもので、結局は国民を不幸に導き、世界からその思想をたたかれ、日本は好戦的な民族とのレッテルを張られてしまったので、それをよく考えなければならないのだ。

新しい惟神の道には、神の理想が基本として「大衆の幸せとは何か」と言うことから発想されていないといけないのである。

では、その考え方は一体何処から受け取ればよいか、それは、三冊の御神書、『天使の声』『凡庸の道』『続凡庸の道』から頂ければよいと神様(正神)が申されているのです。