・古い道義感は邪魔になる。
・その人の自由に任せ、こせこせ言わないで、神様にお任せして置くのである。
・本来日本人には、宗教団体で言う教えは必要ない。
・信仰も片寄り過ぎて、あまり窮屈すぎると窮屈負けに負けてしまうのである。
・信仰は執らわれた様な心を開放して、最後は自由自在、善悪なしになるのである。
・人を自分と同じようにしようと思ったらいかん。
・博士はよいのであるが、威張るからいかん。
・人間の言葉に力がなければならぬ。正しい信念を相手に植え付けるには、自分に信念がなければならぬ。
・物の洞察力がないと、迷いの種になる。
・命がけの事をする時、迷っていると出来ない。
・妻は亭主を立てて喜ばすのが賢い、一家仲良くやるには妻が偉くなり過ぎて、亭主の上を越してはいかん。
・亭主の出世の為には、妻は犠牲になるつもりで、影の舞をしていると、何年かすると、良い結果が出て来るのである。
・人間が入聖しようとする前に必ず、以前のちょっとした立て替えてもらった金でも、返される事になるのである。
・神の本当のお陰を頂こうと思えば、どんな細々な事柄も逃がす事なく、けりをつけないといけないのである。
・必ず良い方を渡して喜ばす様に心掛けていないとならぬ。自分の喜んでいる間は人が苦労しているのである。
・当たり前の様に思う事が、当たり前にならん事が沢山ある。人間は一生の内に細かい事によく気を付け、目にみえん徳を積む様にしなければならぬ。
・信仰のコツは目立たぬ、人のお世話から始まるのである。
・吾々はどこに行こうと修行の種がころがっているのである。細かい人の善意が、世の中に広がると、天国がくるのである。
・今は、悪道の世、善人萎縮の世であるから、神に代わって気の毒な人、弱い人間を救うことこそ、真の信仰である。
・他の教団人に話すには、お互い尊い事をしているのだ、と言う考えに立って話し合うとよい。
・信仰でも、愛情でも安売りしてはいかん。時にはひじ鉄を食らわす様にした方、かえって良いのである。
・いささかの事でも、人の心に疑いを持たす様な事としては、神の道は汚れるのである。