神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完 伝 ー門出ー

当時、家を出、村を出ると云うことは決死の覚悟がいるのでした。

景介は父親より生前贈与(財産分け)を受けます。それは、「茶碗」と「箸」でした。これは暗黙の内の教えであり「我が家には財産がないので、後はお前の甲斐性で生きていけ」と云う事だったのです。

これが大谷司完師の生活の原点であり、信仰の原点でもありました。

瑞霊神の教えとも受け取れるからなのです。

親や他人を頼りにしたり、あてにはせず眼に見えないが実在される神様を唯一たよりとして、自らの生活を心の働きとして与えられた、勇気、知恵、愛情、親しみの心を活用して生きていくこと。これをして、信仰は生きる道と説かれている処なのです。

既在の信仰観では、金や物の捻出は本来自らの努力でなすべきものを、それを唯、祈るだけの信仰と勘違いしてみたり、教団は信者にのみ頼り運営してみたり、それぞれ頼るものを勘違いしていたのでした。

宗教そのものを己が生活の為に利用するなどは、考え直さねばならんものなのです。

就職先は京都の川見商店、洋服商である。

京都での徒弟制度は何業種によらず厳しいものと伝えられています。村を出る時から大体の事を聞いていたので、そう苦痛ではなかったのでした。

修行はすべて新鮮であり興味深いものでした。商売のコツから、技術の習得、客との対応、お金の利殖法等々、店の内外を問わずあらゆるものを習って、早く一人前の仕事をこなし、出世の道を進みたいと必死に努力したのでした。

朝は早起きをし、運動をかねて神社参りが、仕事前の日課となっていた。自分と同じコースを神参りする人物がいました。お互い、より早く参拝を競うようになり、「あいつに負けてはいかん」と暗黙の内に意識しあっていました。