心を清めるには信仰を求めなければいけません。
霊魂は神様から授けられたものですから神様にお願いしないと、清めることは出来ません。
人造神(人間の哲学、観念によって作られた神)とか、動物霊(狐、狸等)では、清めることはできません。
日本刀(日本魂)は、和紙(日本の神)でふかないと清まらんと国土神は申されています。
霊的修行とは心を清める事です。
昔の霊的修行とは、山に籠もったり滝行をしたり、呪を唱えたり、断食等、種々の断ちものをしたりしました。
心の清まってない者の願いは、神様はお聞届けがありません。
別に昔の修行法がよくないとは言えないのですが、体を修するのではなくて、心を修することが大切です。
そして如何に神様に認めて頂けるか、と言うことが信仰の目的です。
正しい霊的修行道とは、自分の心を今、支配するものは何者かを看破分析して、悪しきものは我が心より追放することです。
自己の心の動作を内観することなのです。