例へば、教団に多くの献金をすれば、死後天国に行ける・・・とか。
教団内にて作られた役職や立場を得ることを目標回避ならしめて、それを得る為に適当な競争をさされる・・・とか。
良心の働きとはまったく別の方向に向かわされてしまっている事も、分からなくさせられているのです。
組織内に起こる教師中心の派閥の争いに利用されて、それに追従している事があたかも、信仰の真であるかの様に錯覚している事も分からないのです。
悪い事をして、良心の苛責のない様な心の働きでは、神の道には仕えがたい。
天の定めた流れの内に、人の運命も定められているものがある。神の定められたものは人がいくら逆らおうとも、神思のままに動かされていると言うことである。
天の定めに偽りはない。神に二言はない。神の申された通りになって来るものである。
天の定めに、人がいくら抵抗しようとも、無益なことなのである。これは全て、時が解決する様になっている。
「神聖」これは、如何なる者も犯してはならない、これは人のつとめである。
「信仰」の最終の目的とする処のものは、神人合一である。神と霊通し、神意を大衆に伝えられることにある。神の直接内流を受けられる事にある。
スウェーデンボルグは、彼の霊界の見聞とそれに依り教えられた「神の教え」と言うものは「新しいエルサレムと天国が誕生するための神の教えである」と言っている。それは、今のエルサレムではなく、イスラエルとイスラムと、そしてキリスト教界が、皆一致協力して新しく創り上げる為の神の教えであると示しているのである。
そして、大谷司完師の霊界見聞に依る神の教えは、新しい信仰を持った新しい惟神の道を国是として定めた(法律で定めた)国家、即ち日本の国のことを示しているのである。
古い信仰を持った国家は、昭和二十年の8月十五日で消滅してしまっているので、それを新しい神の教えで立て直されるべき神の原点であることを暗黙の内に語っているのである。