神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完翁 説話 ㉕

・水晶魂。囚われない。何所へ行っても上げて洗うとサラ心となる。タドン魂や土魂ではあかん。染み込む(囚われる)。水晶魂でも苦労はする。然し心になり、澄んだ心の固い魂を言うのである。

・始めから皆悟っていては、スターばかりで面白くない。又、そう言う人々があって、仕事ができる。然し神は目明きになれと言っている。何故かと言うと、一人一人が天国になるからである。

・信仰していても智恵なきものは救われぬ。先日、相談を受けた。その人はある人の事を力になる仏の様な人だと言う。私は言った。今頃、鉱山に手を出そうと言う人に良い人はいない。心せよと言っておいた。まあ、いいとこ二ヶ月だよ、とも言っておいた。(この見抜く苦労の力が智恵)すると十七日目で、その相手の人を鬼だ、鬼畜だと言ってきた。そして、修行の仕直しをしたいと言う。要するにその人に智恵がないからである。四十七になって、しっかりせんかいと言ってやった。家内が可哀想である。

・あるところでも色々お陰を頂いてやっている。いわゆる、信仰のお陰であって、私の言う様なお陰ではない。例えば、奇麗なれども貰い水で飯を炊いて有難がっているのと、汲めども込めども尽きない井戸水があるのとは違う。

・神の愛の救いは、無制限ではない。無制限なのは太陽のみである。そのわかり(創造主は)、地上の人々の都合には頓着なしである。もう良いと言うのに雨を降らす様に、そこで地上の天人は晴雨兼用の傘を持って行く様にすると大丈夫。これ愛と智恵である。

・智恵なき同情は止めよ。十ある力ならば三つ位出しておけば、相互喜び合って悠々といける。それを八も出して別れている。