神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完 伝 ー函館の大火に遭うー

昭和九年三月二十一日、日本の災害史にも残る大火に遭われる。

司完師は、函館市の青年会からの要請を受けて集会所に於いて講演を待っていたのでした。

急に風が強くなって来て、立木が倒れたり家が潰されたりして、講話どころのさわぎで無くなってきたのです。それで講話は中止して皆さんに帰ってもらうことになりました。

それからが大変でした。強風に火が出ました。その火は見る見る家に町中に広まって行き、司完師の宿泊所まで近づいて来たのです。

火は函館市全体に及んできました。逃げる処が見つからないのです。

信仰者の人達は「ヤレ大谷の処じゃ」とばかりにお宮を背にして集まって来ました。部屋はお宮で一杯になりました。

その人達の顔色を見ると怯えてふるえています。顔も青白くなっています。一瞬自分もここで死ぬのかと思ってみたり、イヤ神様がござるんじゃ助けて下さるんじゃ、こんな処で死んでたまるか。と思ってみたり、それが現実の世界だったのです。

「できれば五稜郭の方に逃げなさい」と言ったもののよく見ると、妊婦さんや老人ばかりが集まって来て如何にもならん状態でした。

何を言っても「私は大谷先生と一緒に死なせてもらえれば幸せです」と言って逃げようとしないのです。

この点は若い人達とは違って高齢者は自覚が早いのです。そして言うに「逃げる事よりこの火を早く消して下され、神様に頼んで下され」と言うのです。

インドの魔術師の様な事が出来る人物だと思っているのです。私としては非常に困ってしまいました。

戸や窓等はうかつに開けられません。少しでも隙間ができればそこから風が吹き込んで来るからです。炎は丁度トンネル状となってグルグル輪になって燃え廻っており、その火のトンネルが家等に当たると一瞬バッシと燃え上がるのです。又この火のトンネルが家の中を通り抜ける事もあったのです。

犬や牛馬は狂い火の中を暴走しているし、人はいたる処で焼け死んでいる状態です。風で針金、ブリキ、自転車のスポーク等は丁度鉄砲の弾の様に飛んできます。地獄絵そのものだったのでした。

この様な状態で私は、「なんとか逃れる事ができんじゃろうか」と思っているのです。集まって来た六十数人の人達は「何とか助けて下され」と蚊のなく様な声で私に頼みまくるのです。

普段の何も問題ない時なら、よく落ち着いて祈られるのですが、この様な土壇場になると気持ちが落ち着かんので、グッとした力強いものが湧いて来ないのです。

こんな調子で祈ると必ず失敗することが解るのです。心のまとまり時を待っていました。

そこで「皆此処に居る人は信仰者ばかりだから、皆で祝詞を奏上して神様からの力添えを戴きましょう」と言いました。

「貴方達も私と一緒に必死に祈りなさい、エエか行くぞ」と言って天津祝詞を皆で奏上したのです。

二度程、奏上した時です。私のカバン持ちをしていた者が火の見張りをしていたのですが、「大谷先生、火の向きが変わりました」と大声で叫びました。お陰で六十余人は助けられたのでした。

神様は実在し、必死の祈りには必ずお救い頂けると言う教論でもあったのでした。

これには霊的な因縁を果たすものがあって、司完師の前世で同じ様に函館に於いて火に囲まれ九死に一生を得てる事があった事を後日、神様から知らされました。

後日、早速被災者の慰霊祭を行い、函館市当局より謝意を受けられています。