神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(御神業③)

従って、このお道は、解る人には解り、解らん人に解らんと言う、既に立て分けられた道を言うのですから、解る人を自発的にさがして、解る人から学ばんといかん事になっているのも事実なのです。

大谷司完師も有りの儘に神意を伝えられ、しかも、この正神は一切答えと言うものをだされぬままに、司完師を霊界に引き上げられてしまっているのです。

答えの出し方も、それぞれの身魂相応に、それぞれ自分で出して行きなさいと言う方式なのですから、こうでないといかんと言うものもないのですから、それこそ、自由的に進めて行けばよいのです。これを自由神界の信仰と言うのです。

この道を知った人は、従って、身魂相応にその人らしく、この道を理解して、その人の出来る範囲に於いて、体力、経済力、理解力に応じて、出来るかぎり神意と言うものを第三者の人達に、お伝えして行けばよいのです。

そして、その修業の状態を神様がお認め頂いたならば、日本国中の人達全体を相手としてお伝えして行けばよいのだぞ、と国土神は申されているお道なのです。

「翼を下さい」と言う歌があります。この大空へ悲しみのない、自由の空に飛び立つ翼を下さい・・・と言う詞が歌われています。

自由神界とは、一切の執れから脱することの出来る心の自由性を持つことの出来る心使いを持てることを教えられるものなのです。

今迄の神仏の教えと言うものは、この心の自由性を本来持つ事の出来る人間本来の心の自由性の翼をもぎとり、不自由にさせていた内容が在ったのでした。

その為に、対立性を強め、宗教が主張の為に戦争迄すると言う事情を作ってしまっているのです。これは神様の御性格そのものの中に、自己主張が強すぎているものとも考えられるものなのです。

お道の指導者に融通性が失われているとその考え方が、末端の信者迄その考え方が多く影響されるものなのです。教えの本たる指導者の悟りの悪さも、そのままに末端に迄およぼしているものなのです。