神様は求道には、「15年は面倒を見てやれ」と申されています。
15年完真面目に信仰心を養っていますと、その人の心の中に1ツの証が現れてきます。
霊的に向上して来た人は、他の人から見てその変化が観察出来るようになっています。内外共に人の認められてる様になっています。
途中で他の教えと行く人も出て来るでしょうが、自湧神界では出入りも自由なのですから休憩するのも自由です。
拘束したり、強制される事等は一切ないのです。
真実の神様は、1ツも「これではいけない」を申されないのです。
全ては人の心の儘の人生となるのであり、信仰のお陰も全てその人の心の儘のお陰であるぞと神様も申されています。
熱心な人には、熱心な様な答えが現れてきますし、疑った方には、疑った様な答えが出てきます。
真実の神の教えを「一意専心」一念を通して来た人には、それにふさわしい答えが出てきます。
長い間の道行きですから、色々な事が起こってきます。それは、神様から与えられた課題ですから自分で答えを出さなければいけません。
逃げるか、取り組むか、人に任すか、神様はジット見て居られます。
ただ、ジットと見て居られるだけの事なのです。
この世は、身魂の修行場となっています。