従来されてきた信仰は、自然的信仰であったと云えます。
自然的信仰とは、物や形に重点を置き、外分的な欲望を叶えてもらうためのものが中心とされていました。
各教団の本部は大きな敷地に大きな殿堂造りすることが重要視されていました。
また、そこに居る偉い方々も立派な衣装を着けて、おごそかに話されるので、全てを外見から発想して判断しがちなものなのです。
大切な事は内面、内容です。
如何なる御神徳を神様から戴かれているかと云う霊的な内容(神のお光り)を伝えているかなのです。
昔の宗教の修行と云うのは、寒い時に水を被って見たり、断食や好きな事を我慢したり、神様から頂いた身体をいじめたり、傷つけたりしていました。
この様な欲を絶つ修行では、また同じ事をしてしまい、不自然な人格を作ってしまいます。