神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(勝ち負け)

勝負には、勝ったとしても、心の世界(霊界)では負けると言う事がある。

自然的には(世間的な眼では)負け犬の様に見えても、心の世界では王者となっている人もある。この事を教えられるのが、神人の伝えられた神の御教えなのである。

これは、何を指すのかは、それぞれの心の中で学んで下さい。これを霊的教えと言うのです。

一般的に考えてみて、自分を人生の敗者の様に見えていても、霊的には、勝者となっていることの大切さを教えられる教えなのです。

継承事の中には、霊的と言う物や形、技法と言う形式で伝えられるものと、伝えられないものとがあると言う事を理解していないといけないのです。

特に霊的と言う心や精神に於いて、伝えると言う事ほど難しい事はまずないのです。それには師弟の関係においても、信頼の関係がシッカリと出来ていないと、継承は特に難しいものとなっています。

心から心、魂から魂に伝えられると言うことは、力強い絶対の信頼関係が出来上がっていないと、まず、継承はありえないものなのです。

弟子の為に師匠は、犠牲になるとか、その弟子の借金を償う事が出来ると言った関係が出来上がって居なければ出来るものではないのです。

神人と言う人物には、自分の正しい後継者が出来るまでこの世を去るという事が出来ないので、それ迄死ぬことが出来ないのです。

人間の種類の中には、本霊と言う神の分体分霊としての自分と、精霊の働きとしての自分と、又、肉体人間としての自分との三種あると、見真実行者は言っています。

精霊と言うのは、霊体の中に本霊が入って活動するものと言われています。そして肉体の中に精霊の入っているものを人間として、言われるのです。

いわゆる神の子としての資格を持つ事になる本霊(霊学的には本守護神と言われる)と精霊と言われる正守護神と又、肉体をいう副守護神(人間心と言うもの)とに区分されることになるわけです。

精霊と言うものは、男体の肉体に入れられますと、男性としての働きとなり、女体の肉体の中に入れられると女性として働きをすることになるわけなのです。従って生死を繰り返していても、本体たる精霊、即ち人の霊魂は同じ実体なのです。

霊魂は何度も生死を繰り返していても、本体たる精霊、即ち人の霊魂は同じ実体なのです。

霊魂は何度も生死を繰り返して、男となり女となり、永遠の修業をしているわけとなっているのです。この事を宗教的には、輪廻、転生をすると言われているのです。

この時、輪廻とは、人が又人へと生まれ替わることを言い、転生とは、犬、馬、牛等から、人へと転じて生まれ替わることを指しているのです。

人は生死を繰り返して、次には、神となるべく、霊魂の修業をしているのを、人間と言うのです。

これを宗教的に理解していないと人として、この世に生まれて来た真の目的を知らん事となるので、何の為の人生なのか、その真の意味を失っている事となっているのです。

その為に地に足のシッカリとついていない人生観なので、その様な人を迷った人、即ち亡霊と言われるのです。