神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

密教 惟神の道(惟神の道①)

惟神の道と言っても、明治維新頃ににわかに人造的に作られた惟神の道は、世界との戦争でその信用を落としていますので、母なる神様がその失敗を取り返されて、その霊の元精神を正しく立て直されて、この神様にその出来上がり(仕立て上がり)を見せられるご用が、瑞霊神の御神業となって表れているのです。

その為に司完師は、今世においては洋服屋となって多くの人達の霊性を仕立直されていたのでした。前世には「和服」の仕立屋として生まれておられたのでした。

 

惟神の道は、以前では「教育勅語」の中の文章で表現されている様に「この道」なのですが、以前の「この道」は「かくあるべき姿」として「この道」が、人間的即ち日本人のあるべき姿として、人智にて作成されたものでした。

明治維新の時、新しい日本のあるべき姿を短い時間の間に天皇に代わって作成された(岩倉具視神道の社家にあった公家が作ったものとされている)のを天皇が作ったと語りつがれていたものだが、神意と言うものと、その中に「霊的な内容の裏付け」と言うものが無かった為に、天皇と伊勢の神も惟神の道と言うものも敗戦によって一瞬のうちに大切な信用を落としてしまったのでした。

その結果、なんとか大切な霊の元の本来の信用と言うものを取り返したいと母神たる瑞霊神が現れ給うて、父神の落とされた信用を取り返し、日本の国民性にも正しい自覚をお与えなされて、今後は国民自信の手によって、上からでなく、下から「草の根」の働き努力によって、それを取り戻したいとお考えになる御神業が、時代の先を見越されての昭和十一年(開教の年)より。司完師を通じて進められて来た教えが「瑞霊神」による御神業なのです。

しかもそれが大切なことだと国家が取り上げて下さる、と言う形が既に神様の仕組の中に計画されての事をしめされているのですから、これぐらい、アンビリーバブルな想定は予想もしない事なのです。

この神様の御計画された事は、必ず実現されて来るのですから、私と師から密教として教えられているのです。「神に二言なし」です。神様の申されたことは「必ず」実現して来るのですから。人は唯それを見届けるだけのことなのです。