神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完師説話集 42

・全人類に対して天より天拳が下っているのである。人類の命に掛わる問題がそれである。

・今度の大峠は人間の智志や学問や巧者では通れんのである。唯神力のみが世を救うのである。

・信仰はその人の心通りに現れるものであって、決して特別のものは何もない。唯たゆまず一生懸命やることである。

・人には目をこぼして上げて、代わって神様にお詫びをして上げる。そうすればその人が心から改心する様になるのである。

・心が爽やかになり清まると、神に近づく事が出来、しまいには神と合一する処迄行かねばならぬ。本霊が戻って来る様に我が身を捨てて社会の為とか、道の為に働いていると、そろっと本霊が近づくのである。本霊が肉体を守ると、神の内流と言うものが来るのである。『凡庸の道』を実行していると心が清まり、体もそれに添う様になって来て、本霊が自分を救って下さるのである。他神に救われるのではないのである。

・肉体を忘れて人を救う様な行動は本霊の働きである。本霊は純情であるから、肉体が常識によって、本霊を守り、無茶に肉体を粗末にささない様にならなければ、肉体が無くなってしまっては御用が出来ない。この為四魂に働きを平均した働きは常識によって成される。この様にして神(本霊)と人間(肉体)の働きが合一して立派な働きが出来る様にならないと、現世にあって神の手足になれぬ。それには霊五体五の働きが必要である。

・現世的な常識の中に神意がなくてはならぬ。

・信仰はその人の心通りに現れるのであって、決して特別のものは何もない。唯たゆまず、一生懸命やることである。

・神様は六十歳位迄にものにしてやりたいと思って居られる。だから六十歳位迄の間には神様のことも現世の事をよく知って居て、六十を過ぎた頃から少しづつ、人のお世話を出来るようにならなくてはならぬ。

・今思っている事は浅いと思っておればよい、もう十年たてばよく解って来る。

・体のきれいなのは、血の清まった証拠である。体に斑点の出来るのは、まだ血が清まっていまいからである。

・今の人間は現世的になり過ぎているから、『凡庸も道』によって神意を悟り、癖を直し、天界的な家庭をつくる様に努力しなくてはならぬ。だから『凡庸の道』には霊の方やや多目になり、体の方が少な目になっているから、少しきき目になっている。