神は実在する

「神は実在する」前田孝師の本のタイトルです。師の想いを発信していきます。

大谷司完師説話集 85

・神様の言葉を信じ言葉の力があると、歩けない人でも歩ける様になるのである。

・年が行く程に自分で自分を激励して気持ちを引き立てる。そして力んでいると何時の間にか達者で行けるものである。

・先祖の中には、子孫に酒を飲ませたり、女道楽をさせたり、だらしの無い事を教えるものが多い。

・善い話を聞いても中々実行出来ないのは、殆ど、先祖の影響を受けている。

・善い事を教える先祖は、相当偉い先祖である。良い事とは解っていても、心からやる人は少ない。神様の御守護を得て、邪魔者を祓う事が大切である。

・印度、中国、朝鮮等の教えの影響を受けている先祖が多い。それ等の先祖が子孫の正しい神の道行きを邪魔するのである。

・神様事がピンと来ず、どうしてもハッキリしないとか、又酒や食物を一生懸命ねだる先祖や、だらしのない事を好ます先祖が多くいる家庭程、神様を信じない者が多い。

・先祖を改式した事は、どうでもよい事をしているのではない。先祖に言い聞かせ、正しい事を教えるのが、子孫の努めである。

・先祖は自分のやった仏教が一番良いと頑固にきめているので、一寸話しをしても神様事を受け付けない。

・念力の強い方には、霊界ではどうしても引きつけられて、否応なしの言う事を聞かされる。

・個人的に念力を持っているとよい。現世に居る間は念力の勉強をし、神様に自分の思惑をお願いして、段々自分の念力を強くして行くことが大切である。

・唯神様を拝むのではなく、常に神を祈り、自分の目的達成の為にやって見る。最初は自分の事を願ってもよろしい。段々と力が付いてきたら他人の為にお祈りしたらよい。始めから理想ばかり思っていても、自分の家が駄目ではいかんから、この方法を吾れ良しだと言って人を笑ってはいかん。段々と念力を強くし、信仰を上すべりせず、先ず自分を完成して行けば、ひとり心から他の人の事を、祈れる様になれるのである。

・自分の体は自分で守り、適当に足を丈夫にして置かんといかん。でないと長生きできん。

・信仰の無い人は自分から病気を作る。物事を思い過ぎると信仰も曲がって来るから、ものごとに囚われない事が病気にならないコツである。内蔵の病気なども必ず心に囚われがあるからである。自分の心の原因をよく調べて、心の持ち方の片寄りを直していると、必ず病気は治る様になっている。

・自分で自分の働きを調べていると大体のことは解る様になっている。癖直しを常に心がけ、自分の最も囚われ易い心の癖を二つ三つ直すだけでも、自分の為にも人の為にもなるのである。例え他人に頼んでも悪癖を直したいと思っても、仲々言ってくれないから、何か良い方法を見つけて自分の癖を直していると、神様は大変喜ばれるのである。悪癖は六十歳位迄に直す様にしていないといかん。

 

大谷司完師説話集 84

・手をねじる人があれば、ねじられておいた方がよい。犠牲的忍耐が正しい信仰の上には必要なのである。

・自分が良くなるのも悪くなるのも、現世では人相手であるからである。人から苦しめられるのは良いが、相手を苦しめないこと、男として弱い女を苦しめたりすることはいけない。どちらかと言うと、自分を犠牲にして相手を喜ばせた方が、後の為に良いのである。

・私は二十三歳より信仰したが一度もまだ病気をした事がない。信仰が一番有り難く思うのは、体が達者で暮らさして頂いている事が一番有り難く思っている。

・希望を持って喜んだり、心を痛めない様にしているとおかげの元になる。

・その日その日で人からされた事を忘れ、自分のやったことも忘れて、心に屈託を作らなかったのが、平穏無事にくらさせて頂いた原因だと思っている。

・人生と言うものは、心の持ち方が非常に関係するから、ケロンとして暮らすのが長生きのコツの様である。

・希望を失わない様にし、屈託のない暮らし、心配事をしないで、何とかなるだろうと思って居ると、又ちゃんとお計らいを受けて、いるものである。

・家庭が順調にならないと、安心して暮らすことが出来んので、成るべく心配しない様にし、考え方として良い様に良い様に思っていると、案外良い様にして下さるのである。

・人間はあまり真剣に神様を拝まず、出来の悪い事ばかりしているのであるが、神様はいつもおかげを下さったり、体も丈夫にして下さっていることを忘れてはならんのである。

・神様に対しては、有りの儘に繕わずに申し上げるのが良い。神様は慈悲深い方であるから、人間が少々身勝手な事をお願いしても見直されてお陰を下さるのである。

・吾々に物を与えられる分量は神様が一番良く御存知だから、与えられた分量に対し、不足を言わず、唯感謝しておれば良いのである。

・神様には何事でも申し上げ、良い事と悪い事も神様の様にして正直まっぽうにしなければならない。

・神様には不足事を持たない様にして、結構でございましたと、お礼を言える様になってくればよい。神様にはあまり悪い言葉を出さない様にするのがよい。

・高い処に御座る神様を自分の身近まで降りて頂いて、もっと親しみを持って接し、体はおだらをしていても、心は神様を尊い、お詫びをしながらやっていると、神様はちっともお叱りをなさらず、皆許して下さって、お陰を下さるものである。神様を心から放す事なく、肉体は少々おだらをしていても、心はいつも神様を大切に考え、几帳面な神様に御無礼のない様にしなければならない。

大谷司完師説話集 83

・自分で解らん霊的の事であるから、なるべく正しい修業道を志して、常識的な信仰をして居らねばならぬ。

・信仰が良いとか悪いとかで恐れることはいらん。又理屈を知ったから救うとか。神様を好きになって何かの時に神様と言える様になっていたらよい。

・親は生きていても死んでいても大切にせんといかん。自分の心の中に親がいつもあると、霊界に行ってもすぐに親に会える。又親を忘れたからとて悪いとは言えない。そう云う人は何かの時に親を思い出していると、懐かしくて仕様のない様な事が起きて来る。

・現世に於いて気まづい事をしない様にしないと、霊界へ行ってから、その気まづい事をした人に会わねばならん事になる。

・信仰は自分が神の教えを守り、どう世の中に処して行くのかが大切である。

・金を持たなくても、神様はいくらでも喜ばせて下さる。人は金に使われたらいかん。金は神様事をする為の現世での弁法である。

・人間の運命と言うものは知らす為に、その人に祈らせて、影より本人の力添えをし、私の目に見えん徳を与えるのである。そして、いかにその人が祈った為に答えの出た様に影から計らうのである。そして次々と段々に、その人の祈りが強くなる様に育てるのが私の役目である。以上の様に信仰の有り難さを知らさん事には、その人の信仰が立派にならんのである。

・人の為に祈ってもそれを相手に知らさん様にし、その人の祈りによって神様のお計らいを受けた事を教え、その人が自信を持って、他人の為に祈りの出来る様育てて行くのである。

・たとえ人からペテンにかけられても、こちらは相手をせめず、泣き寝入りしておくと、やがて時期が来て、相手を改心さす様なことが起こって来るのである。だから流れ来ることは、それをこばまず受けておけば、神様はそれを見て居られて、良いお計らいを下されるのである。こう言う事は他から見て、一見弱い様に見えるが、実は神様が居られ、信仰があり初めて信じて言えることなのである。

大谷司完師説話集 82

・霊界では魂と相当長期間苦しまさなければ改心出来ない。同じ苦しみを長い間つづけないと反省しないし、良くなる様に考えないから、そうなっているのである。

・霊界では、自分の悪い癖に気付けないと中々生まれ替わりが出来ない。

・心に持っているものが何であるか中々解らんので、長い間かけて自発的に悟らす様になっている。だから自分で自発的に改めると少しづつ進歩して行くものである。

・現世で色々修業させて置いて、霊界へ行くとその結果をハッキリと解らせてもらえる様になっている。

・教えとする者は、一般人より二段位上の者でないと中々人をまとめたり、導いたりする事は難しい。自分の持っているもの、あるだけの事をしている様ではいかん。この様なことでは奥の手が一つもないので、すぐにお手上げしてしまうのである。

・現世に於いて宗教の教えを聞き、内面の向上の為に少しでも努力した物は、徹して霊界の判定を受けた後、自分が霊界に住み替えた事を知れる様になっている。従って反省のない様な人間では判定のしようがない。

・沈滞するのは吾れ良しである。

・良い事は堂々と言って、少しでも神様を祭らす様にしなければいけない。これは信者作りではなく、国土精神発展の為である。

・ある時期が来ると、国民と皇室、神様と人(国民)との関係が密接になる様、段々となって行く状態である。

・その人の考え方によって、段々苦労を乗り越えて強い力を持つ様になるのである。

・人は自分の神様を造りて、神様をおたて申し、一生懸命努力する事により、段々正しい強い力を得ても、その結果神様のお力添えとして慢心せず、益々に努力するので、遂には人の追従しない様な立派な人になって行くものである。だから皆自分の信念をかかげて、清く正しい事をやる様にすると、誠に結構な結果を生む事になるのである。

・清く正しくないことは、勇気を出してすることは出来ない。だから清く正しい神様をお立て申し、その教えを守って勇気を出して、どんな困難なことでも強い信念を実行をもって突破するのである。

・考え方次第で、どうにもなるのであるから、ひと苦労するつもりで正しい事をやるのである。そして、天より授けられた運命を気付くのである。これをやり通す人は、千人に一人位よりない。

・どんな教団でも教団愛を作るので誠の神様のお力は出ない。

・良い心理は神より流れて来るものである。

大谷司完師説話集 81

・信仰は御魂に徳を付け、世を治める稽古をしているのと同じである。

・社会に進出しようと思うと背後に神のお守りがないと、どうにもならぬ。

・御魂に徳が付いて来ると、何となく物事を治める事が道に叶って、人が従って来る様になる。

・修業は内面的に練り鍛える事が目的である。

・教団の神も日本では、国土の神の言う事を聞かねばならぬ様になっている。

・信仰を励み私心を捨てて、人の為によくなる様に思っていると、その人の運命も替えることが出来る。

・苦労をしたものの身魂は、もの事の理解が早く、何をやらしても上手にやるので、こう言う人は大事にしなければならぬ。

・自分の心の動きを良く見て、悪い癖は治す様にすること、自分の考えを調べると前世は何であったかもよく解る。前世から何か続いているものがある、と言う事も解る。

・神様は、自分の心を極端に裁いて練り鍛えられたお方である。

・信仰好きの人は、何遍生まれ代わってきても信仰する。

・信仰しても自慢ばかりしていると、その人が立派になっても、最後は潰されてしまう。

・巾広い人生を作らんといかん。社会に採り入れられぬ様ではいかん。大きな神の働きは、国家社会が良くなるものであるから、社会から排斥される様な教団ではやがて潰れてしまう。教団でも上に立つものが巾がせまいと、巾のせまい教えを作ってしまうのである。

・臭いものに蓋をする様なやり方ではいかん。少しでもややこしいものは持たぬ様にすること。

・良い事は少しでも世に残すことが、神の御心である。

・神様のお裁きは死んでからが多い。肉体人間をあまり苦しめない御方針の様である。だから現世的にはその手厳しいものではないが霊的には厳しい。本当の人間に対する裁き又、裁きに服するものは霊界である。現世に於いては、喜ばして改心さすのが良いらしい。

戦争犯罪者でも現世では平和論者の様な顔をしていると、現世ではごまかせるものであるが、しかし、霊界ではハッキリさせられる。

・現世では何も起こらないから、罪が許されたと思い勝ちだが、それは大きな間違いである。だから気が付いたらすぐにおわびして、良い事に励まねばならぬ。

大谷司完師説話集 80

・親を心で恨んで、自分を貧乏の家庭に生んだ事を不足に言って見たりして、まことに親不幸であっても、親の年頃になってはじめて、親の大恩をしるのである。

・商売を都合よくやって金でも多く儲けていたなら私は、おそらく信仰してなかったと思う。自分の力つきた時、はじめて人間は神を祈るものである。

・自分に因縁の神が居られて、良いも悪いも皆、あやつられて居るものである。神との因縁の深い人は、自分も知らない間にあやつられて、出来ない事でもさせて信じさす様に、仕向られているのである。

・苦労をさしぬく神様は、強い神様であるから、教団でも開かせられる人は、散々苦しみを与えられて、試練の連続の様なことをさせられ、どんな事でも忍耐して良いことをし、人のようせん事をする。強い人間をお作りになる。要はこちらの思う様にならない。ここに神様の言うに言えん神のお仕組みがあるのである。特に使命のある人程、苦労させられ、神のお守りは全て吾がままが出来ず、つらいものであるが、辛抱しなければならぬ。

・結婚問題については、自分や家庭が良く相談して決める事。神様に祈り信仰を励んでいれば良くなって行くものである。

・神様が好いて下さると人生はより良く通れる。神様に疎んじられたらいかん。

・人間が神様嫌いではいかん。自分の我だけでやってる間は、それだけである。

・神様に左右してもうらおうと思うならば神心を勉強して、清らかな心になっていないといかん。

・人間は上も下もない。唯念力の強い人は、人より良く導くことが出来る。

・一家は奥さんがだらし無いといかん。婦人は良い事に励むと一家は良くなり、地方も良くなり、国家も良くなるのである。

・うわづいて調子にのりすぎたりしていると困る事が出て来るから、節約をして、無駄使いせず、困難に耐えられる常の準備が大切である。何よりも信仰を励み、心の持ち方を替えておかんいかん。

・せいぜい自分の家庭がくずれん様にまもらなければならん。無理して儲かる時と、儲からん時があるから、無理をしていると非常時になった時に、一番先にお手上げになってします。

・人頼りせず、御先祖様を大事にして霊界よりの御加護を得なければ上手く行かない。

大谷司完師説話集 79

・文句を言う人はあるが、祈り上手な人はそうざらにいない。

・神様は始め御先祖に命令を下しおかげを下さる。

・先祖は物のおかげを下さり、神様は智慧と愛情を下さるのである。

・中には外の系統の神様からのお計らいをうける事がある。間接か直接か必ず神のお助けである。

・子供時代とか少年時代はあまり信仰とやかましく言わない様にして、親としては自由にさせてその子供の癖を見つける事とか、どう云うものを好きで求めるとかを、よく見定めその子の一番好きな求める事をやらせる方が、物事を上手にやるようになる。

・親が下らない事を言ったり、やったりしない様に正しい事をして居れば、必ず子供は習うのである。親の良し悪しは子供に影響力が大きい。だから夫婦そろってよい事に励む事が大切である。

・放任教育ではないが、親が手本となっているのであるから責任は親にあるのである。親は立派な神の教えを正しく理解して居らねばならぬ。

・教育を一応修了してから、信仰をすると、ものの理解が早い。

・本気で信仰を求める様になるのは四十歳位からである。若い間は信仰のマネをしているだけで本物ではない。

・世帯を持ち子供も出来て、一苦労しないと悪い癖(めぐり)を自分で治す様な事はやらない。

・家庭に苦しみが出来、不幸せになると心から神におすがりするのである。その他の事は道楽信仰や、ゆさん信仰になってしまうのである。

・幸せな家庭では人間の我儘をつのらすばかりで真の信仰は出来ない。不遇の家庭の人は真剣である。

・私は青少年の教育を学校教育に取り入れる様な事を考えて、どう言う風に造ったらよいかと思っているが、宗教を学校でするのは難しい。宗教と言うものは教育ですべきものではなく、神様は少年や青年に信仰をあまり、せよと言われないのは、以上のべた理由によってである。

・人間が成長して色々の苦労をして、苦しみの中から、正しく生きる生き方を求める様になってくるのである。

・人は求めていない信仰を強要されると、した様に見せるだけで、心からしていない。人生の苦難をなめて、始めて神を求める様になるのである。だから、どうにもならなくなってはじめて信仰をするものである。